大判例

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宮地簡易裁判所 昭和38年(ろ)6号 判決 1964年1月17日

被告人 森末光

大六・一〇・二五生 呉服商兼団体役員

主文

被告人を罰金五百円に処する。

被告人が右罰金を納めることができないときは金二百五十円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

但し被告人に対し本裁判確定の日より一年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中証人山崎義喜に支給した分は被告人の負担とする。

理由

(罪となる事実)

被告人は法定の除外事由がないのに、昭和三十八年五月二日午後四時五十分頃、熊本県阿蘇郡一ノ宮町大字宮地、国鉄宮地駅前十字路附近道路において、運輸省令所定の保険標章を表示しないで軽自動車(六熊あ第三四二二号)を運転し、以て保険標章を表示せずに軽自動車を運行の用に供したものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人の無罪の主張に対する判断)

(一)  被告人主張の要旨

被告人は本件につき、被告人が前記日時、国鉄宮地駅前附近道路上で、軽自動車(六熊あ第三四二二号)を運転中、同車に法令所定の保険標章を表示していなかつたことは事実であるが、同軽自動車は当時修理に出してあつた被告人所有軽自動車の代車として、当日阿蘇郡阿蘇町黒川一、四四〇番地山崎モータースこと山崎義喜から借受けたものであり、同人方より同車を運転して同郡一の宮町大字宮地一六六番地の自宅に戻る途中、前記宮地駅前において、交通取締中の警察官に右標章の表示してないことを現認され、はじめてそれに気がついたものであつて、被告人としては右山崎方を出発する前、該軽自動車の前面ガラスに保険標章が表示されておつたことは確認しておつたし、同山崎方から宮地駅前迄は右軽自動車で二、三十分ぐらいの距離であるから、当時偶々降つていた雨に濡れて該標章が警察官に現認される直前頃、被告人の不知不識の裡に剥げ落ちたものと思われる旨供述し、したがつて保証標章を表示しないで軽自動車を運行の用に供したものには該らないから無罪である旨主張している。

被告人の右無罪主張の理由を分析してみると、

(イ)  保険標章を表示しないで軽自動車を運行の用に供する罪(以下保険標章不表示罪と略称する。)は故意犯であり、したがつて該標章の表示されておらないことを認識しながら敢えて軽自動車を運行の用に供するとき、はじめて成立する罪であつて、標章が表示されておらないことを不注意(過失)によつて気付かずに軽自動車を運行の用に供した場合は同罪を構成するものではないこと。

(ロ)  しかるに本件の場合は、

(1) 被告人が前記軽自動車を運転して山崎モータースを出発する際は同自動車の前面ガラスに該標章が表示してあつたので、同標章は右山崎モータースから国鉄宮地駅前附近まで来る途中で剥落したものと思われること。

(2) 山崎モータースを出てから宮地駅前附近に差掛るまでの時間はせいぜい二、三十分間ぐらいの短時間であつたので標章が剥落した原因は当時降つていた雨に濡れて急に粘着力を失い瞬間的に剥離したためと考えられること。

(3) 右のように短時間の運行中に、かつ雨水浸透というような自然現象によつて急に剥落したのであるから運転中の被告人としてはこれに気付くことは不可能である(不可抗力)か、あるいは可能であるとしても、うつかりして(不注意によつて)気付かないで過すということは当然であること。

等の事情があるので、被告人には保険標章不表示について、故意、過失を共に欠くか、しからずとするも最少限、故意はなかつたものであること。

の二点に要約することができるものと考える。

そこで保険標章不表示罪は故意犯に限られ、過失犯は絶対に含まれないものであるか否か、被告人の主張するような具体的事実関係が証拠上認められるか否か等について、逐次検討考察を加えることにする。

(二)  保険標章不表示罪は故意犯に限られるか、それとも、過失犯を包含する余地もあるか否かについて。

保険標章不表示罪を規定する自動車損害賠償保障法(以下自賠法と略称する。)第九条の三その他同法条項中には直接過失犯をも処罰する旨を明文をもつて規定したものは認められない。

したがつて同法各条項を形式的に観察するかぎりは、過失による保険標章不表示罪の成立は消極に解すべきものである。

しかし、いわゆる行政刑罰法規においては、たとえ、明文をもつて過失犯を処罰する旨を規定していない場合においても、その法規の趣旨、目的等を合理的に判断し、条理上当然過失犯をも処罰する趣旨を窺うに足りるときは刑法第三十八条第一項但書にいわゆる「特別の規定のある場合」に該当するものとして処罰し得るものであるとすることは、これと反対の判例も存するが、既に判例法の基調として定立されている(大正十一年六月二十四日、昭和十二年三月三日の各大審院判決、昭和二十五年九月二十九日、同二十六年十月十一日の各福岡高等裁判所判決、昭和二十八年三月五日の最高裁判所判決、昭和三十四年六月十六日の東京高等裁判所刑事第四部判決等。)ところであり、また学説中にも、「刑法第三十八条第一項但書の特別の規定とは必ずしも直接の明文規定とのみ解すべきではなく、法令における規定の全体から推して過失犯をも罰する趣旨を見出し得る場合があり、概していえば、構成要件が形式的な行為を捉えており、保護法益に対する危険性が間接的、抽象的である場合には、故意と過失とを区別する理由が乏しく、また法定刑として拘留、科料のみが規定されている場合や罰金のみが規定されている場合の如きは、過失による違反をも罰する趣旨と推測される。」(小野清一郎博士刑事判例評釈集第三巻昭和十五年度一三〇頁)旨や、「行政法規における取締の必要と刑法第三十八条の原則との軽重権衡を案じ、その取締の必要が真に重いときは、規定の文理から直接にその趣旨が表われなくても、同条にいわゆる特別の規定ある場合に該当するものというに妨げないものである。」(牧野英一博士刑法研究二巻二〇二頁)旨の有力な見解が存するのである。

しかして、自賠法罰則が右にいわゆる行政刑罰法規の範疇に属するものであることは言うを俟たないところであるから、保険標章不表示罪が過失犯をも含むか否かについても、同法の趣旨、目的等を合理的に判断し、条理上当然過失犯をも処罰する趣旨を窺うに足りるものが存するか否かについて検討を加えることを要するものといわなければならない。

しかるところ、同法は自動車の運行によつて人の生命または身体が害された場合における損害賠償を保障する制度を確立することにより、被害者の保護を図り、あわせて自動車運送の健全な発達に資することを目的として制定されたものであり(同法第一条)、今日における自動車の運行による不可避的な交通災害を填補もしくは軽減するための保険制度確立という絶対的な社会的要請の上に立つているものであることはいうまでもないところである。

同法は右目的のため、自動車は自動車損害賠償責任保険の契約が締結されているものでなければ運行の用に供してはならないこと(同法第五条)。自動車は自動車損害賠償責任保険証明書を備え付けなければ運行の用に供してはならないこと(同法第八条)。軽自動車は運輸省令で定めるところにより保険標章を表示しなければ運行の用に供してはならないこと(同法第九条の三第一項)。保険標章は当該軽自動車以外の軽自動車に表示してはならないこと(同条第二項)。有効期間を経過した保険標章は軽自動車に表示してはならないこと(同条第三項)。保険標章は軽自動車の前面ガラスの外側に前方から見易いように貼りつけることによつて表示するものとすること(自賠法施行規則第一条の二第三項)。軽自動車以外の自動車については、その備付けに係る自動車損害賠償責任保険証明書記載の同保険期間と完全に一致する期間を有効期間とする自動車検査証ならびに同検査標章(自動車検査証の有効期間と終始する。)を表示しなければ運行の用に供してはならず(同法第九条第二項後段、道路運送車両法第六十六条、第百九条第一号)、かつ右検査標章は自動車の前面ガラスの内側に前方から見易いように貼りつけることによつて表示するものとすること(道路運送車両法施行規則第三十七条の四)。運輸大臣は本制度の目的を達するため必要があると認めるときは、その職員に道路その他自動車の所在する場所において、自動車を運転する者に対し、自動車損害賠償責任保険証明書の提示を求めさせることができること(自賠法第八十五条第一項)。等一連の規定を置き、これが違反に対する罰則(軽自動車の保険標章不表示運行については同法第八十八条によつて違反者は三万円以下の罰金に処せられることになつている。)を設け、なお自己のために自動車を運行の用に供する者はその運行によつて他人の生命又は身体を害したときは、これによつて生じた損害につき無過失責任に近い賠償責任を負うものとする、責任主義の原則に対する特則を規定(同法第三条)して自動車損害賠償保障制度の確実な運営を期しているのである。

これによつてみれば、自賠法は、すべて自動車(軽自動車を含めて)は所定の自動車損害賠償責任保険(以下責任保険と略称する。)の契約が締結されているものでなければ運行の用に供することができないものとし、右責任保険契約の締結をもつて自動車運行の前提必須の要件とすると共にそれにより自動車運行に因り生ずることあるべき一切の生命、身体に対する災害の賠償が一定の限度において必ず保障されることを所期しているものというべく、かつ右保障を確実にし運行中のすべての自動車に対し右保険加入(契約締結)の有無を正確且つ容易に確認することを得せしめて、保険潜脱(いわゆる保険モグリ)自動車の運行を防止するため、自動車損害賠償責任保険証明書の備付ならびに自動車(軽自動車を除く。)にあつては検査標章の表示を、また軽自動車にあつては保険標章の表示をそれぞれ当該自動車(軽自動車を含めて)の保有者ないし運転者に対し命じているものでであることが明らかである。

すなわち自動車(軽自動車を含めて)運転者としては、自動車を運転するに当つては、常にその自動車に構造上の欠陥または機能の障害その他の事由により安全に運転できないおそれが存するか否かを点検してこれを整備すべき業務上の注意義務を負うことは勿論、これに附随して車両検査証の有無を点検し、さらに運転免許証携帯の有無と自動車損害賠償責任保険証明書の備付ならびに検査標章もしくは保険標章表示の有無をも点検し、その存在を確認した上で当該自動車の運行を開始すべき業務上の注意義務があるものというべきである。

しかるところ、自動車における検査標章、軽自動車における保険標章の各表示の有無を点検することは、その運行開始時においては、極めて容易であり、したがつて右開始時においては、右標章等の表示義務は極く軽度の注意を払うことによつて容易に遵守し得るものであるということができるのである。

けだし、これら標章は前記の如く原則として運転者席の前面ガラスに貼りつけて表示すべきものと定められているので、その運行開始時においては、運転者が運転者席に就くと同時に当然その視界に入るものであり、かつ右時点においては運行中と異り、運転者と自動車をとりまく環境は未だ静的に安定しておるので運転者としてはその注意作用を運転操作に専らにすることなく、前記車両検査証、自動車損害賠償責任保険証明書の備付、運転免許証の携帯、検査標章、保険標章の表示等の有無を含む車内点検をなす十分なる心理的余裕を有するからである。

右事実によつてみると、軽自動車の運転者がその運行開始に当り、前面ガラスに保険標章の表示がしてあるか否かに注意せず、それが不貼付もしくは貼付後の剥離等の事情によつて現に表示されておらないのにそれに気付かず、運行を開始したとすれば、それは故意に保険標章を表示しないで軽自動車を運行の用に供したものとはいえないにしても、重大な過失(重大な注意義務違反)によつて保険標章の不表示に気付かず、軽自動車を運行の用に供したものというべきであつて、過失による運転免許証の不携帯と同等もしくはそれ以上の規範違反性をもつものといわなければならない。

しかし、右の場合と異り、自動車の運行中においては、保険標章の表示に絶えず注意を向け、その存在を不断確認しつつ運行を継続するということは必ずしも容易なことではない。

けだし、運転者は運行中においては、前方注視の義務、制限速度遵守の義務、標識標示確認の義務、安全操縦の義務等自動車運転上の各種注意義務があり、就中前方注視義務は漫然たる前方注視でなく、進路の前方、側方等における人車馬の動静を不断に注視しこれらとの接触衝突等の事故発生を未然に防止すべき注意義務であるところ、吾人の視覚領域(視野)は眼窩内における眼球の回転運動の範囲に限られ、かつ受像器官である網膜は中心窩の辺が最も鋭敏な空間閾すなわち視力を有するところで、同所を遠ざかるにしたがつて視力は急速に減退するものであるから、運転者が前記の如く進路前方において刻々変移する人車馬の動きに注意を向けるときは、視点すなわち最も明瞭な知覚のある直視点ないし疑視点は右人車馬の上に置かれ、他の視覚領域は視野すなわち右視点を囲む不明瞭な間接視の領域となつて、統覚作用もこれに伴い右直視点部分が明瞭に意識される反面、他の間接視野の部分は相対的に不明瞭にしか意識されないことになるからである。

換言すればこの場合前面ガラスの保険標章は運転者の視野内にあつても、標章として意識的に視覚されてはおらないと言い得るのである。

しかも軽自動車における現用保険標章裏面の接着剤(粘着テープ)は、運輸省船舶技術研究所(旧運輸省技術研究所)交通技術部第三技術室長海老原慎一郎作成の回答書によれば、三菱樹脂株式会社の製品で「ヒシネーマー」GIA#25と呼称されるものに係り、その材料、成分は天然ゴム系を主剤とした接着剤であつて、これをトリアセテートのベースフイルム面に接着したものであるが、温度依存性が大きく、常温附近においては特に接着力が不良となるということはないが零下五度以下の低温における粘着力は弱いこと、また右材料成分の合成樹脂(エマルジヨン)は親水性の界面活性剤や保護コロイドを含んでいるために乾燥後も吸水膨潤し、耐水接着力が著しく低下する場合のあること等の事実が認められ、なお軽自動車の保険標章はその貼りつけ表示すべき箇所が普通自動車における検査標章のそれが前面ガラスの内側とされているのに比しその外側とされておる(前記自賠法施行規則第一条の二第三項)ため、雨風その他気温の高低、乾湿等気象条件の影響を直接的に受け易いことも明らかであるので、表示後その有効期間内において自然に剥離する危険性を包蔵しておるものというべく、現に証人家入二生の証言によれば剥離による再交付申請の事例が少なくないことが認められるのである。

そうすると、保険標章の表示は自動車運転免許証携帯の場合等におけるが如く一旦免許証を携帯して乗車するときは運行途中においてそれが脱落して不携帯の状態となるが如き事態の発生は絶無に近いのと異り、一旦表示されても、気象条件その他により運行中において剥離する危険性なしとしないので、保険標章不表示罪については、運転免許証不携帯罪の如くその義務遵守の難易がその運行開始時と運行中とで何ら逕庭が存しないのと異り、右両時点において、量的というよりは殆んど質的ともいうべき懸隔の存することを否定し得ないのである。

したがつて、運行中保険標章が自然に剥離して不表示の状態となつた場合、その場所が交通量閑散で運転者として進路前方における人車馬に対する顧慮を要することが比較的少なく、前面ガラス全体を意識的に視覚しこれに注意し得る心理的余裕がある場合においては、うつかりして右標章剥離による不表示に気付かないことは、なお過失であるというべきであるが、しからずして該場所が交通が激しく運転者としてその注意を専ら進路前方における人車馬の動静に集中的に向けなければならないような場合においては同標章剥落による不表示に気付かなかつたとしても過失の責むべきものがなく、不可抗力であるといわなければならないものと考えられる。

勿論運転者が運行中標章が剥離して下表示の状態となつたことに気がついたに拘らず、これに介意せず運行を継続したとすれば、斯かる場合に故意犯が成立することは当然である。

右のようなわけであるから、運行中における保険標章の不表示についても故意のある場合、不可抗力と認むべき場合、過失と認むべき場合の三つの場合の存することが考えられるのであるが、過失と認むべき場合においても、それは前述した前方注視義務等、より基本的な運転上の各種注意義務に意識を集中しなければならない結果の相対的、かつ不可避的な注意減退(保険標章の存在に向けられるべき注意作用の減退)として、その規範違反性は微弱なものというべきであり、これを故意犯と同視し、もしくはこれに準じて科罰する必要性には乏しいものといわなければならない。

これを要するに自動車損害賠償保障法は今日の異常な交通事情下における絶対的な社会的要請である自動車損害賠償の保障制度を確立することを目的として制定されたものであり、同法第九条の三は右保障制度確立に必要な責任保険強制加入制の確保と保険未加入ないし同潜脱自動車の運行防止の実効を担保する趣旨で設けられた規定であつて、前記の如くその構成要件は「軽自動車は保険標章を表示しなければ運行の用に供してはならない。」という全く形式的な行為を捉えており、保護法益との関係における危険性も間接的、抽象的で、かつ法定刑も三万円以下の罰金に限られておるので、故意と過失とを区別する実質的理由に乏しく、なおその立言形式から行為の態様として過失を含ませることを絶対的に排斥しているものとは考えられないことならびに運転者としては、運行開始時においては保険標章表示の有無を検することは極めて容易であり、軽度の注意をもつて足るのであるが、その運行中においてはこれに注意を向けることは容易でなく、かつ標章が気象条件によつては運行間において自然剥離する危険性も存すること等の事実が明認できるのである。

そうすると、右のような自賠法の目的、趣旨、同法第九条の三の律意ならびに保険標章表示義務の性質、同義務遵守の難易等諸般の事実を綜合し、合理的に判断するときは自動車損害賠償保障法第八十八条で処罰する同法第九条の三第一項の規定に違反した者とは故意に保険標章を表示しないで、すなわち保険標章が表示されていないことを認識しながら敢えて軽自動車を運行の用に供した者ばかりでなく、その運行開始時において該標章表示の有無を点検すべき義務を怠り不注意(過失)によつて右標章の表示されておらないことに気付かず、軽自動車を運行の用に供した者をも包含するが、その運行間において剥離等に因り標章が不表示の状態となつたのに、これを不注意(過失)により気付かず運行した者は含まない法意と解するのが相当であると考えられるのである。(もつとも、これは現行の保険標章表示制度のもとにおいて、斯く断じ得ることであつて、もし将来保険標章裏面接着剤の粘着性能が改善されて完全なものとなり、かつ標章の表示箇所が安全な前面ガラスの内側に改められるような場合は、全面的に過失行為の可罰性が肯定される余地も生じ得るものと考えられる。)

換言すれば保険標章不表示罪は自動車の運行開始時における不注意の結果としての標章不表示運行は包含するものであつて、その限度において過失犯をも含むものと言い得るのである。

尤も斯様に一つの違反類型(保険標章不表示の自動車運行)中に過失犯の含まれる場合と含まれない場合があるものとして、分別的評価をなすことは定型的画一的な行為として客観的に構成要件を把握する必要の大である行政犯においては不適当であるという批判を免れないかも知れないのであるが、前記の如く保険標章表示の有無に対する自動車運転者の心理的条件はその運行開始時と運行中とでは全く異質的なものが存するのであり、行政犯といえども刑罰的規範の体系中にあるものである以上、行為者の心理的状態をその主体的な立場において把握し、具体的、かつ実質的に規範違反性の有無ならびに強弱を定めることは決して不当でなく、むしろ刑罰的評価の本旨に沿う所以であるものと考えられる。

以上の如く考えるときは、被告人の罪責の有無は被告人が前記月日において、当該軽自動車の運転開始時、その前面ガラス外側に保険標章が表示されていないことを認識しながら敢えて発進しもしくは中途それに気付いたに拘らずこれに介意せず運行を継続した場合ならびに右発進時該標章表示の有無を点検すべき義務を怠り不注意(過失)によつて右標章の表示されておらないことに気付かず、軽自動車を運行の用に供した場合に該るかあるいはそれら以外の場合に該るかによつて決すべきこととなるわけである。

(三)  具体的事実関係の検討判断について。

そこで次に被告人が保険標章の表示を欠く軽自動車を運行の用に供した具体的事実関係について検討考察を加えることにする。

(甲)  被告人が当公判廷で主張する具体的事実関係について。

前記(一)被告人主張の要旨で触れた如く、被告人は本件の具体的事実関係として、被告人はその所有する軽自動車を予ねて阿蘇町の山崎モータースに修理に出してあつたところ、違反当日右モータースから代車として本件軽自動車を借り受けられたので、同モータースから、右軽自動車を運転して一の宮町の自宅に戻る途中、宮地駅前において、交通取締中の警察官に保険標章の表示してないことを現認され咎められて、はじめてそれに気がついたものであり、被告人としては右山崎モータースを出発する前、該軽自動車の前面ガラスに保険標章が表示されておつたことは確認しておつたし、同モータースから同駅前までは右軽自動車で二、三十分ぐらいの距離であるから、当時降つていた雨に濡れて該標章が警察官に現認される直前頃被告人の気がつかない間に剥げ落ちたものと思われる旨主張しているのである。

そこで被告人の右主張に係る事実関係を分析しこれに合理性があるか否かについて検討してみることにする。

(イ) 保険標章を表示せずに運行しているのを警察官に現認された時刻の点について。

被告人は右時刻について、

1、一番最初の供述書(昭和三十八年五月二日付のもの、以下同じ。)では保険標章不表示の軽自動車を運転して宮地駅前十字路に至つたのは昭和三十八年五月二日午後四時五十分頃である旨供述し、

2、ついで同年六月二十五日付の正式裁判申立書の中でも宮地駅前附近道路で交通整理中の一の宮警察署員から保険標章がないことを指摘されたのは五月二日午後四時五十分頃である旨申立て、

3、さらに、同年七月二十七日の第一回公判においても、昭和三十八年五月二日午後四時五十分頃宮地駅前附近道路上で軽自動車を運転していたこと。また同駅前で警察官に現認された際該自動車に所定の保険標章を表示していなかつたことも事実である旨述べて、

いたが、

4、第二回公判(昭和三十八年八月二十八日)に至つて、宮地駅前で警察官に現認されたのは午後でなく午前中であり、午前十時二、三十分頃であつた旨述べ、それまでの供述を悉皆変更しているのである。

しかして、右変更理由について、被告人は違反を現認されたのは、実際は当日の午前中であつたが、当該警察官から同日午度五時までに警察署に出頭するようにといわれ、それによつて出頭した時刻が恰度午後四時五十分頃であつたため違反時刻と警察署出頭時刻とを混同して錯覚したためであると述べているのであるが、被告人の当公廷における供述によると被告人は交通違反事件を起したことも、警察官の取調を受けたことも本件が最初で斯かることは生まれて以来はじめての経験であるということが認められるので、そのような事実から考えると、本件は被告人にとつて比較的鮮烈な記憶を残すべき事象であつて、被告人が午前十時二、三十分頃の違反を午後四時五十分頃の違反と混同錯覚するというようなことは通常考えられないことであるのみならず、証人森木良美の「当日一の宮署の交通取締に従事したのは午後四時から午後五時までの一時間であつた」旨の証言と対照し被告人の第二回公判以降における違反日時の点に関する供述にはその真実性について首肯し得る事情の存在を見出し難いのである。

かく考えると右第二回公判において被告人が従来の供述を変更したのは、偶々当日被告人の右供述に先立つて証人山崎義喜(山崎モータース主人)が「被告人に代車(本件軽自動車)を貸した時刻は当時大変忙しかつたのでよく憶えていませんが午前中だつたような気がします。」と述べたことから被告人が同証人の右証言との符合をはかるためそれまでの供述を変更したものと推認されるのである。(なお、被告人はその後さらに三転し違反日時は同日午後四時五十分頃が本当かとも思う旨曖昧な態度に変つている。)

(ロ) 保険標章を表示しないで軽自動車を運行の用に供しているのを現認されたのは同軽自動車を山崎モータースから借りた直後であつたかそれとも右借用日時と現認された日時との間には一日もしくは数日の間隔があつたのかとの点について。

被告人は右について、

1、一番最初の供述書では「昭和三十八年五月二日午後四時五十分頃………宮地駅前十字路係道路において………軽自動車を………保険標章を付けないで運行していましたが昨日までは付いていました………」と述べ、昨日までは付いていた旨供述しているので、それによると本件軽自動車は本件違反のすくなくとも前日もしくはそれ以前に山崎モータースから借用して運行の用に供していた旨のことを自認していることになるのであるが、

2、第二回公判期日においては、本件違反を現認されたのは山崎モータースから該軽自動車を借用して帰る途中であり、借用時刻と違反現認時刻との間には二、三十分ぐらいしか時間的間隔がなかつた旨述べ従前の供述を変更している。

しかし、右供述変更を相当として首肯し得るに足る理由は毫も認められないのである。

(ハ) 保険標章が表示されていなかつた理由について。

被告人は右について、

1、最初の供述書では「昨日までは付いていましたが本日子供が遊んでいましたのでいたずらにハギ取つたと思われる。」旨述べていたのであるが、

2、第一回公判期日以後は当時雨が降つていたため標章が雨に当つて警察官に現認される直前頃はげ落ちたものと思われる旨に供述を変更している。

しかし、これまた右供述の変更について首肯し得るに足る理由が認められないのみならず、証人森木良美の証言ならびに阿蘇山測候所長野田義男の「降雨の量、強弱調査について」と題する回答書によれば当日の天候は「晴、後薄曇、後晴」であつて全然降雨のなかつたことが明らかであるから、被告人の右公判における変更後の供述には真実性も見出し難いのである。

(ニ) 本件軽自動車の借用時、該車に保険標章が表示してあつたか否かを確認した事実の有無について。

被告人は右について、

1、前記正式裁判申立書中では「後に山崎モータースの主人に標章の有無を確かめたところ、私が運転して出発する際は該標章は貼付されておつたとのことであります。」と述べ、

2、第一回公判期日においても、「保険標章は山崎モータースの話では表示されておつたそうであります。」と述べ、被告人自身としては該軽自動車を借用時、その保険標章表示の有無について確かめなかつたが、川崎モータースの主人に照会してみて当時その表示がなされておつたことがはつきりしたように述べておるのに、

3、第二回公判期日では「借りた車には保険標章は表示してありました。間違いなく確認しています。」と述べ、それまでの供述を変更しているのである。

しかし、これまた右供述の変更について首肯し得るに足る理由が見出されないのである。

以上の如く、被告人の供述が重要な諸点において首尾一貫を欠いていること。違反時刻や当日の天候(とくに雨が降つていたか否か)についての法廷における供述は明らかに客観的な傍証と齟齬し真実性が認められないこと。供述の変転に首肯し得る理由がなく、違反時刻の点等については、他の証言との符合をはかるための意識的作為が窺われること。等の事実の存在が認められるのであつて、右事実に徴すると、被告人の公判廷における供述は容易に措信し難く、本件をその主張するような事実関係とは認め難いということに帰するのである。

(乙)  被告人が最初の供述書で供述した具体的事実関係について。

そこで、つぎに被告人が最初の供述書で供述している事実関係について検討することにする。

同供述書は違反当日作成されたもので、その内容は「私は昭和三十八年五月二日午後四時五十分頃、阿蘇郡一の宮町宮地駅前十字路係道路において、………笠宏伯所有の軽自動四輪車(供述書には四軽車と書かれている)………を坂梨方面から宮地町方面に運転中、法に定める保険標章(供述書には保険証標と書かれている)を付けないで運行していました。昨日迄付いていましたが、本日子供が遊んでいましたのでいたずらにはぎとつた(供述書にはハギトリたと書かれている)と思われます………」となつている。

しかして、前記証人森木良美の証言によれば、被告人の供述書は印刷されている不動文字の箇所を除き被告人が自ら記載したものであり、同証人は被告人に対し記述の要領を教えたことはあるが、違反事実の内容を口授したというようなことは絶対になく、同供述書中、違反の日時、違反場所で保険標章の表示されていない軽自動車を運転していたことならびに保険標章は昨日迄付いていたが、当日(本日)子供が遊んでいたのでいたずらして剥ぎ取つたものと思う旨の部分は間違いなく被告人が進んで自供し記載したものであるということであり、また証人津留吉人(宮地区検で被告人を取調べた検察事務官)の証言によれば、同証人が被告人に対し右送検被疑事実について聴取したところ、被告人はその供述書中で述べていると全く符合した供述をしたので供述調書は作成しなかつたが、被告人が違反時の車について「自分の車は修理に出していたためその代車として二、三日借りて使用していたものである」旨と「自分は交通安全協議会の評議員をしているので寛大な処分を願いたい」旨のことを述べていたので、そのことを記録中の違反現認報告書裏面の余白に鉛筆書きでメモしたこと(右証言は適法な証拠調を経た該現認報告書の裏面に同証言と符合する鉛筆書きの記載があることからこれを信用し得る。)ならびに右取調時、被告人より「警察官に本件違反を現認されたのは山崎モータースから車を借りて戻る途中であり保険標章は当時雨が降つていたので雨に濡れて落ちたものである」というが如き主張や弁解は全然出なかつたということが認められるのである。

なお、被告人も同供述書作成の過程において取調警察官から暴行、脅迫、強制その他任意の供述を妨げる契機となるような影響は何ら受けておらない旨述べておるのである。

そうすると、被告人の該供述書中の供述には任意性、合理性ならびに真実性の存することを認めざるを得ないのである。

けだし、任意性については、右の如く被告人もこれを自認しているところであり、合理性については、例えば標章がとれて表示されていなかつた事情について「昨日迄は付いていましたが本日子供が遊んでいたので、いたずらにはぎとつたものと思われます。」と具体的に述べておつて、単なる例文式の供述でないことから、実際の経験に基礎を置く供述とみられるのであり、真実性についてはそれが被告人の記憶の最も新鮮な時期、すなわち違反当日(違反直後)作成されたものであることからして、当時その供述に任意性を欠くべき特別の事情や故意に事実を歪曲すべき特段の動機等が存しない限り一応真実性があるものと考えられるところ、右のような特別の事情や特段の動機の存在は認められないことならびに前記運輸省船舶技術研究所交通技術部第三技術室長の回答書によると、標章剥離の決定的要因となるものは零下五度以下の低温による接着テープの粘着性減退であるとされているが、阿蘇山測候所長の昭和三十八年十一月十三日付「宮地附近の最高最低気温についての回答」と題する書面によると、本件当日、日中においては気温は概ね常温程度以上を示し、勿論零度以下に下降したような事実は認められず、また同測候所長の前記降雨状況についての回答書によると、当日は降雨のなかつたことが明らかで、被告人が法廷で主張している、運行中の二、三十分間内に標章が雨に濡れて剥落したものと思う旨の供述を裏付けるに足る傍証はなく、また当日は右のように実際に雨が降つていなかつたのであるから、違反当日被告人が警察官に対し「雨に濡れて云々」というようなことを述べた筈がないと考えられ、したがつてこれらの点についての被告人の主張を内容とする供述記載を欠く前記供述書こそむしろ被告人の真実の経験事実がその侭表白記載されておるものとして高く評価すべき真実性をもつものと考えられるのである。

以上の検討結果によつて判断するときは、被告人の一番最初における供述書の記載内容こそ本件事実関係の真相を端的に物語つているものであつて、結局被告人が本件違反を現認されたのは山崎モータースから代車を借り受けて帰宅する途中ではなく、右モータースから該車を借り受けた二、三日後のことであり、時刻も午前十時二、三十分頃ではなく、午後四時五十分頃であつたこと。被告人は保険標章がその前日迄貼付表示されておつたのを確認しておつたが本件違反当日は子供がいたずらして剥ぎとつたらしく、被告人が本件軽自動車を運転して発進しようとした当時既に運転者席前面のガラスから表示を欠くに至つておつたこと(被告人は法廷では該標章は運行開始前でなく、運行間において剥落したものであり、かつ雨に濡れて被告人の知らぬ間に落ちたものと思われる旨のことを強く主張しているのであるが、前記の如く阿蘇山測候所長の回答書によれば、当日、日中の気温は常温であり、かつ全然降雨もなかつたことが認められるうえ、前記運輸省船舶技術研究所第三技術室長の回答書によれば、現用保険標章は、零下五度以下の低温下においては、とくに粘着力が失われて一時に剥落するというような経過を辿ることもあり得るが、常温の下では、一時にもしくは急に剥離脱落するというが如き事象は起り得ないということであるので、被告人の該違反当日の供述とも相俟つて本件標章の剥落は被告人が法廷で主張しているような運行間におけるものではないことを優に推断し得るのである。)。被告人は右不表示の事実に気付いていたが深く意に止めず、運転を開始しその運行中前記の如く交通取締中の警察官に現認されたものであること。等の事実が認定できるのであつて、被告人の所為は保険標章不表示罪(故意犯としての)を構成するものといわなければならないのである。

なお、被告人の法廷における弁論の全趣旨に徴するときは、被告人は仮りに本件軽自動車の運行開始時、既に保険標章が当該軽自動車に表示してなかつたとしても、被告人としては、かかる事実には全く気付かなかつたものであり、右不表示の事実を知りながら敢えて当該軽自動車を運行の用に供したというが如き事実は絶対になかつたのであるから、保険標章を表示せずに軽自動車を運行の用に供したことにはならない(保険標章不表示罪は故意犯で過失犯を包含する余地はないから。)旨のことをも予備的に主張しているものとみられるのであるが、たとえ、そのような場合であつても、それは自動車運転者として、運行開始にあたり運転者席前面ガラスを注視して保険標章表示の有無を点検すべき義務を怠り、そのため当該標章が剥離して表示を欠いている状態にあることを不注意により気付かず、そのまま発進運行したものに該り、斯かる場合はやはり、自賠法第八十八条で処罰する同法第九条の三第一項所定の保険標章を表示しないで軽自動車を運行の用に供した場合に該当するものと解すべきであることは既述したとおりであるから、仮りに本件の事実関係が右の如き場合であるとしても、また被告人が右法条所定の罪責を免れ得ないものであるといわなければならないのである。

以上の検討考察によつて明らかである如く、被告人の無罪主張は到底これを採用するに由ないのである。

(被告人の情状)

以上によつて観れば、被告人は本件についてその罪責ありといわなければならないが、既述したように軽自動車における現行の保険標章表示制度には、標章裏面の接着剤(粘着テープ)がその粘着性能十分でなく(この点は前記運輸省船舶技術研究所第三技術室長の回答書によるも明らかであつて同省当局においてもその後改良の必要を認めていることが看取されるのである。)、温度依存性や親水性が強く、特に低温に弱いので、山地もしくは寒冷地等における冬季夜間等においては運転者の気付かないうちに瞬間的に剥落するという危険の蓋然性も存すること。普通自動車の検査標章が前面ガラスの内側に貼付表示することとされておるのに軽自動車の保険標章は同ガラスの外側に貼付表示すべきものとされておつて車外の気象もしくは人為による剥離の危険性を包蔵しておること、(しかして普通自動車と軽自動車との間に斯かる区別を設けたことについては証人迫田兼博の証言によるも明らかでなく、合理的な理由を発見し得ないのである。)。他国法制におけるが如き免責条項(例えば、イギリス道路交通法第四十条第一項は運転者が道路上で自動車の運転をなす際、警察官吏の要望があれば自己の氏名および居所を明告し、かつ自動車損害賠償責任保険証明書を提示しなければならないものとすると共に、この場合運転者が該証明書を所持していなかつたことなどの理由でこれを提示することができなかつた場合には右の提示を要求されたときから五日以内に指定された警察署に出頭して、右証明書を提示すれば提示義務に違反したものとして処罰されることはない旨規定している。)。の特則がないこと。等の立法面における不備や運用面における欠陥が認められ、「剥げ易いような粗雑な標章を剥げ易いような位置に表示することを命じ、これが剥離による不表示に対し刑罰制裁をもつて臨むことは国民に酷を強いるものである。」という被告人の主張も為政者に対する反省資料としてだけでなく、裁判所の同法違反者に対する量刑上の考慮としても十分耳を傾けるべきことがらであると考えられることならびに被告人には刑事犯は勿論道路交通関係事犯についても前科もしくは検挙歴が全くないことおよび本件軽自動車は修理に出した自己軽自動車の代車として借りたもので、被告人には親炙性が薄く、したがつて車内点検の関心が低調となることもある程度免れ難い事情にあつたこと等の情状が明認されるので、後記の如く酌量減軽を施し、かつ相当期間刑の執行を猶予するを相当とすべきものと思料されるのである。

(法令の適用)

法律に照すに、被告人の判示所為は自動車損害賠償保障法第九条の三第一項、第八十八条、同法施行規則(昭和三十年十二月一日運輸省令第六十六号)第一条の二、罰金等臨時措置法第二条第一項に該当するところ、前記の如くその情状に憫諒すべきものが存するので、刑法第六十六条、第七十一条、第六十八条第四号を適用して、酌量減軽した刑期範囲内において、被告人を罰金五百円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法第十八条第一項に則り金二百五十円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、なお前記情状に鑑みその刑の執行を猶予するを相当と認めるので、刑法第二十五条第一項により、本裁判確定の日より一年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法第百八十一条第一項を適用して主文第四項のとおり定める。

仍つて主文のとおり判決する。

(裁判官 石川晴雄)

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